大沢孝司さん
 
 電脳補完録


 

拉致:1974年2月24日

●大澤 孝司 (おおさわ たかし)
失踪時期 1974年2月24日
失踪当時の年齢 27歳
失踪場所 新潟県佐渡島新穂村
失踪当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪当時の状況 自宅近所の飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

迷宮の扉ー大沢孝司
(テレビ朝日スーパーJチャンネル・迷宮の扉・wmv)

大澤孝司さんと再会を果たす会
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

   
 
4/17 第15回大宮講演会 特定失踪者ご家族 (2005-4-20)
4/10 第10回藤沢市民集会 大澤茂樹さんの訴え (2005-4-11)
3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』続々 (2005-4-10)
3/13TBS「報道特集」特定失踪者の家族『時間がない』 (2005-3-18)
大沢孝司さん兄、泉田知事に要請 (2005-1-21)
大沢孝司さんの兄ら署名活動 (2005-1-3)
大澤孝司さんの救出を求める看板設置 (2004-12-30)
きっと会える 大沢孝司さん証言編 (2004-6-25)
『せめて救われる道筋を』特定失踪者家族 (2004-5-20)
 
   
 

大澤さんは、当日は、寮から500m離れた焼肉屋で夕食をすませています。
● 焼肉屋では「今日は隣の金井町で木彫りの仏像を買ってきた」と言って包みを持っていたそうです。
● 夕食を終えると、「さて、帰って休むか」と言って、焼肉屋を8時頃出ています。
● その後、近くの煙草屋に寄りました。(趣味でやっていた猟銃の期間が終わり、猟友会役員である煙草屋のご主人に許可証を返納するためでした。)
● 店先で奥さんに狩猟の許可証を返納し、店を出たまま、大澤さんは消息を絶ちました。

必死の捜索もむなしく
● 巻町の実家に農地事務所から連絡が入ったのは翌々日の火曜日。お兄さんの昭一さんがフェリーで佐渡に渡ります。
● 翌水曜日から親戚、警察はもちろん、農地事務所の全職員、近隣の村の人たち、消防団など、200〜300人体制で島内くまなく捜索。しかし、ようとして行方はわかりません。
● 寮の部屋には、現金、通帳、衣類はもちろん、大好きなカメラもそのままで、何か持ち出した感じはまったくなかったそうです。
● ただ、大澤さんが煙草屋を出るのと前後して、店に入ろうとしたが入らずに急いで走り去った2〜3人の男がいたことと、その直後、ブレーキか急発進か、タイヤのきしむ音が聞こえた、という情報がありました。
● また、北朝鮮のマッチが近くに落ちていたそうです。

   

 

大澤孝司さんの救出を求める看板設置
 1974年に佐渡で消息を絶った県職員大沢孝司さん=当時(27)=の同級生らによる「再会を果たす会」(平岡一郎会長)が29日、大沢さんの故郷・西蒲巻町の県道沿いに拉致問題の全面解決と救出を訴える看板を設置した。新年を前に、メンバーら約30人が「来年こそ再会を果たすぞ」と気勢を上げた。
 看板は縦1・8メートル、横2・2メートル。大沢さんの実家近くの、弥彦山を望む道路沿いに設けられた。今年は拉致被害者で柏崎市の蓮池薫さん(47)夫妻、佐渡市の曽我ひとみさん(45)の家族が帰国を果たしたが、大沢さんら特定失踪(しっそう)者問題は前進がなかった。そこで同会が新年に向け、「今年こそ」と大きく書いた看板を掲げた。 (新潟日報)

 

北朝鮮・拉致濃厚の大沢孝司さん、不明から30年 兄ら真相解明へ支援要請 
 ◇「真相解明へ支援を」−−兄と救う会が巻町長に要請
 特定失踪(しっそう)者問題調査会が「北朝鮮が拉致した疑いが濃厚」とした失跡者で、新穂村で行方不明になった県職員、大沢孝司さん(当時27歳)について、巻町に住む兄昭一さん(68)と「救う会新潟」は24日、田辺新・巻町長に真相解明への支援を要請した。大沢さんが突然姿を消して、この日で丸30年。昭一さんは「政府を信じ、もう少し我慢して」と孝司さんの無事を祈った。
 昭一さんと「救う会新潟」の小島晴則会長らは午後1時半ごろ、町役場を訪ね田辺町長と面会した。小島会長は、拉致被害者として認定するよう政府と関係機関に働きかけたり、解決まで町を挙げて大沢さんの家族や活動を支援するよう求める要請書を提出した。
 東京農大卒で、大沢さんが後輩にあたる田辺町長は「孝司君が帰ってくることを願い、町民一丸となって頑張っていく」と応えた。
 昭一さんは「家族にとって、この日が一年中で一番嫌な日」と顔を曇らせ、「北朝鮮にありとあらゆる圧力をかけ、問題を解決してほしい」と訴えた。要請後、昭一さんは報道陣に「国民が拉致されて、政府が知らんぷりするはずがない。必ず助けてくれるから、寒いだろうけどもう少し我慢してくれ」と弟へのメッセージを語った。(2004/4/25 毎日新聞)



大澤孝司さんのお兄様・昭一さん

弟の行方がわからなくなった、と弟の勤務先だった農地事務所から連絡があってすぐ、佐渡に行きました。弟が住んでいた寮の部屋はきちんと整理整頓され、現金も通帳も残っていました。警察が何百人もの大規模な態勢で捜索しましたが「これは神隠しかもしれんね」と言われました。私たちも弟は自分で失踪したか、自殺したとしか思えないほど、手がかりはまったくありませんでした。それから12〜13年して、母は亡くなりました。明治生まれの母は人前で取り乱したり、涙を見せたことはなかったが、弟がいなくなったとき、山へ行って大声を出して泣いたそうです。私はいま、弟は拉致されたと確信しています。横田さん、蓮池さん、曽我さんのケースと状況がよく似ています。父親は94歳ですが、拉致だと確信してだいぶ元気になりました。生存の可能性が少しでもあるのですから・・・。
2月24日で、弟がいなくなって30年。亡くなる直前まで会えるのを待ち望んでいた母のためにも、状況が変わることを期待しています。


大沢孝司さんの写真を飾った居間で、首相会見のテレビを見つめる兄の昭一さん

[ひょっとしたらと思っていたが」。二十二日、首相会見のテレビを食い入るように見つめていた大沢昭一さん(68)(新潟県巻町)は、力無くつぶやいた。弟の孝司さん(当時27歳)は、1974年、佐渡で行方不明となった。最後に立ち寄った、たばこ屋では不審な男たちが目撃され、近くに北朝鮮のマッチ箱が落ちていた。「特定失踪者問題調査会」によると、拉致の可能性がある特定失踪者は約400人。中でも、孝司さんを含めた二十八人は「拉致濃厚」とされている。
 73年に石川県で消息を絶った遠山文子さん(当時21歳)の姉、光子さん(54)は「妹との再会が遠くなってしまったような気持ち」と声を詰まらせ、53年に長崎市で失踪した徳永陽一郎さん(当時18歳)の姉、森川洋子さん(71)は、「安否不明者を切り捨てないで」と涙ながらに訴えた。家族達の苦しみは、いつまで続くのだろうか。
(読売新聞 2004/5/26夕刊)


 

「忘れてはいけない!特定失踪者問題」講演会(2004/4/27)
次兄・大澤茂樹さんの挨拶

 ただいま紹介にあずかりました、私は特定失踪者「大澤孝司」のすぐ上の兄で大沢茂樹と申します。現在神奈川県横浜市に在住しております。私ども兄弟は3人おりますが一番上の兄は新潟県巻町で家業を継いでおります。本日はこのようなセミナーにお誘いいただきまして本当にありがとうございます。(礼をする)また「救う会埼玉」の皆様方には日頃からお世話になりまして本当にありがとうございます。実は私どもは「関東新潟県人会」のバックアップを得て、ほぼ毎週「京成上野駅前で街頭署名」を行っておりますが、そのお手伝いをしていただきまして本当にありがとうございます。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。(頭を下げる)

 私の弟は1974年昭和49年2月24日に新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない「トキの保護センターのある新穂村」というところで、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。失踪時、弟は27歳の独り者で新潟県庁の出先機関であります「佐渡の農地事務所」に勤務しておりました。事件当日は今日と同じ日曜日で、寄宿舎の食堂が休みということで行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、若干アルコールも摂取したようでございますが、そこを7時半頃出て帰宅途中、私の弟は趣味で猟銃の猟をやっていたのですけれども、その猟は2月15日で終了ということで狩猟免許を、その地区の猟銃会の会長のお宅に立ち寄りその後おかみさんに狩猟免許を返納したあと帰ろうとしたのですけど、そのお宅も飲食店を兼ねており弟が出ようと思った矢先に「2〜3人の男」が入ろうとしていたのですけど入るのを止め、即、弟の後を追ったようです。それからしばらくして「車が急発進するタイヤのきしる音」がしたのを、その奥さんと近所のおかみさんが聞いております。その会長宅から寄宿舎までは100メートル足らずで、その間に海があるわけじゃなくまた流されるような川もなく周りは畑と田んぼが多い、非常にのどかなところです。

 突然、私より5センチくらい大きかったんですけども、私より大きな男が突然いなくなるというのは不自然であり、事件当時佐渡の両津警察・あいかわ警察の方からも大掛かりな捜索を真剣にやってもらいましたが、結局何もつかめませんでした。また私どもの要請した捜索隊ものべ5000人くらいで佐渡をくまなく探したのですけれども、弟を見つけることも失踪する理由等も何も見つけることは出来ませんでした。

 私たちの家族はそれだけ探しても出てこないということで、まあ神隠しにでも遭ったものと諦めもしておりましたが、その後の調査で曽我さんたちと同じような手口で北朝鮮に拉致されたという疑いが濃厚ということで本日ご来場していただいております真鍋先生・荒木先生の方からも調査をしていただいたところ、弟「孝司」は北朝鮮に拉致された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つないということで、昨年の9月に調査会の認定を得ることが出来ました。また政府認定は証拠不十分とし、未だに認定はいただいておりませんが今現在新潟県警の方で専従班が設けられ毎日捜査が継続されておりますが、昨年の10月16日新潟県警の定例記者会見の場におきまして、私の弟と山梨県甲府市で図書館に行くと言って自宅を出たまま行方がわからない「山本美保さん」のふたりが拉致濃厚との、新潟県警の見解をいただくことが出来ました。(新聞記事を見せる)このようにして私の弟と、山梨県の「山本美保さん」は一歩前進することが出来ましたが、拉致問題は何一つ解決しておりません。

 一昨年の10月15日、拉致被害者でありました地村さん夫婦・蓮池さん夫婦・それに曽我さん5名の被害者が帰国してもう1年と半年が経ちますが、その後まったく進展しておりません。私は「拉致は人権蹂躙で土足で我が国土に上がりこむ国家主権の侵害・人権侵害・テロ行為」と認識しておりますが、我が日本政府は何故拉致問題に関しては弱腰で、逃げ腰で、積極的に解決する姿勢を見せないのでしょうか?派閥の親分が「金の延べ棒」をもらったからでしょうか?また「美女軍団」やそのような人たちから招待を受けているからでしょうか?何か理由があると思いますが私にはその理由がまったくわかりません。

 今、国際世論は北朝鮮の核武装を断固阻止しようと包囲網を敷いております。我が政府は「今拉致されている日本人を一人残らず奪還する」という強い意志を明確に示し、一人残らず一刻も早く拉致問題を解決してもらいたい、と私は日本政府に強く強く訴えたいと思います。先程司会者の方も言われましたが、今日本人で北朝鮮に拉致された疑いがあり特定失踪者問題調査会の方に調査依頼が出ている人数は400名を超えたといわれております。私はその中で何人の方々が北朝鮮に拉致されているのか想像もつきませんが、その被害者・家族も含め最後の最後の最後の一人が帰国するまでは、この問題の幕引きがあってはならず、また風化しないように更なる皆様方のご支援・ご協力をお願いし、甚だ簡単でお粗末ではございますが私の訴えに代えさせていただきます。本日は本当にありがとうございました。(大拍手、日の丸に礼をする)

* 上記講演会のテキストは、aoinomamaさんのホームページより転載
http://aoinomama.trycomp.net/

 


 

1/15 第9回藤沢市民集会(救う会神奈川主催)
大澤 茂樹さんの挨拶

 ただいまご紹介にあずかりました私、特定失踪者「大澤孝司」の兄の大澤茂樹と申します。本日は第9回藤沢市民集会に参加させていただきまして、誠にありがとうございます。またこのような訴える時間までさいていただきまして、高いところからではございますが、「救う会神奈川」の皆さまには本当に感謝いたします。(深く礼をする)

 私ども兄弟は3人おりまして、一番上の兄は、新潟県の巻町というところで家業の跡取りをしております。巻町と言ってもご存知の方はおられないと思いますが、昨年東北電力の町原発予定地を、日本で初めての住民投票で白紙撤回し、ちょっと有名な町でございます。

 私は、現在横浜市瀬谷区に在住しております。「拉致」された可能性が濃厚なのは三番目の弟でございます。私は藤沢市民の皆さまと、こういうふうにしてお目にかかるのは初めてであり、また藤沢市民の皆さまも私の弟の「拉致濃厚」の内容については、ほとんどの方がご存知でないと思いますので、失踪時の状況からお話させていただきます。

 私の弟の「孝司」は、昭和49年2月24日に新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん母子が「拉致」された真野町の拉致現場から距離にして7〜8キロしか離れていない「トキの保護センター」のある新穂村というところで、北朝鮮に「拉致された疑いが濃厚」となっております。

 失踪時、弟「孝司」は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります「佐渡の農地事務所」に勤務しておりました。県の職員でございました。

 事件当日は日曜日で、寄宿舎の仲間と午前中卓球をやり、午後から1人で金井町という隣の町に遊びに行き、その帰りに寄宿舎の食堂が休みということで行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、若干アルコールも摂取したようでございますが、そこを7時半頃出る時に、店のおかみさんに「あぁ、飲んだし食ったし、これから寮に帰って寝るか」というあいさつを交わし、そこの店を出て帰宅途中知人宅に立ち寄り、用を済ませ帰ろうとしたところ、弟の後を追ってきた2〜3人の男が、またそこの知人宅も飲食店を営んでおり、そこの店に入ろうとしていた2〜3人のお客さんか定かではございませんが、弟が出ると同時にその店に入るのをやめ、後を追ったようでございます。

 そしてしばらくして、車が急発進するタイヤがきしむ音をおかみさんと近所のおかみさんが聞いたのが最後で、その後の足取りはつかめておりません。また、その知人宅から寄宿舎までの距離は200メートル足らずで、その間に海があるわけじゃなく、また流されるような川があるわけじゃなく、周りは畑と田んぼが多い非常にのどかなところで、大の男が夜の田舎の8時頃そこから突然消えるということは不自然であり、事件当時、佐渡の両津警察・相川警察さんの方からも大掛かりな捜索を行なっていただき、また新潟県の方も、私どもの方で用意いたしました捜索隊も加わり、くまなく佐渡中捜索するも、弟を見つけ出すことも、また失踪する理由さえ見つけることができませんでした。

 私ども家族は、こんなに捜していただいたのに、見つからないということは「神隠しにあった」ものとあきらめもしておりましたが、その後の調査で、北朝鮮に「曽我ひとみさん」と同じような手口で「拉致されている疑いが濃厚」とのことで、特定失踪者問題調査会の荒木先生の方からも徹底的に調査をしていただいたところ、弟「孝司」は北朝鮮に「拉致」された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つない、ということで調査会の1000番台のリストに入れていただくことになりました。

 また、政府認定は証拠不十分とし、今現在も新潟県警の方で専従班が設けられ、毎日捜索が継続されているようでございますが、一昨年の10月16日新潟県警の定例記者会見の場におきまして、私の弟と山梨県甲府市で「図書館に行く」と言って自宅を出たまま行方がわからず、4日後、同じく新潟県の柏崎の荒浜海岸というところでセカンドバッグが見つかった「山本美保」さんの2人が、「拉致の疑いが濃厚」との新潟県警の異例中の異例の見解をいただくことができ、私どもは新潟の救う会、山梨の救う会、それと調査会の先生方と内閣府の拉致支援室を通じ、日本政府に一日も早い「拉致認定と救出を求めるお願い」を5回も6回も行きましたが、未だに政府認定には至っておりません。何なんでしょうか!!

 現場を捜索している新潟県警が「拉致の疑い濃厚」と言っているのに、日本政府は未だに認めておりません。私のところはともかくとして、川口市で失踪した「藤田進」さん、また、千葉で失踪した「加瀬テル子」さんの顔写真が、脱北者の手によって昨年北朝鮮から持ち出され、それを分析していただいたところ「本人に間違いない」という鑑定結果が出たのにもかかわらず、我が日本政府はこの2人でさえ「拉致認定」をしてはおりません。

 また調査会の中には、「もう拉致に100パーセント間違いない」という方々が大勢おられるも、ただの1人として「拉致認定」されておりません。これ以上「拉致被害者」が増えたら困ることでもあるのでしょうか?

 先ほどお帰りになりました有本さん、松木さんのお兄さん等、10件の「拉致被害者」の再調査が行われておりますが、その方々の消息がわかり日本に帰国したら、もう「拉致問題」は終わりだと、幕引きしよう、という危惧さえ私は感じます。

 私は「拉致」は人権蹂躙で、我が国土に土足で上がり込む国家主権の侵害、という北朝鮮の重大な国家犯罪と認識しておりますが、我が日本政府は何でこの「拉致問題」に対しては、積極的に解決してくれないのでしょうか?私にはその理由はわかりません。

 今、拉致の疑いが排除できないご家族420名の方々が、調査会の方に調査依頼が出ております。私は今、拉致されているそのすべての日本人が帰国するまでは、この問題の幕引きがあってはならず、また昨年の暮れ、横田さんと松木さんの「お骨」と称するものを鑑定精査した結果、他人のものであるということが判明し、日本の多くの方々はホッとし、その反面「またウソか」という、このウソは日本政府並びに我々日本人に対する最大の侮辱であり、私は許すわけにはいきません!!小泉さんは何回騙され、何回侮辱を受ければ目が覚めるのでしょうか?

 私の田舎には「大澤孝司と再会を果たす会」というのがございまして、その会の皆さんも今回ばかりは怒りに怒り、昨年の12月29日に、我が故郷のシンボルであります弥彦山をバックにこのような大きな看板を立てて、日本政府に訴えることとなりました。

 また報道関係にも大きく取り上げていただき、今新潟の田舎の方では、再度この「拉致問題」に盛り上がっております。

 また、今年の正月2日と3日、越後国一ノ宮という弥彦神社で署名活動を行い、大勢の方々から激励ないし励ましの言葉をいただき、またたくさんの方々から署名をしていただき、私は感動して帰ってまいりました。

 しかし今の日本政府は残念なことではございますが、世論の後押し、皆さま方のバックアップがないと何もやってくれないのが現状でございます。どうか皆さま、今年こそは小泉首相に考え方を変えていただき、早急にも「経済制裁」という伝家の宝刀を抜いてでもこの「拉致問題」を解決したく、それには更なる更なる皆さま方のご支援・ご協力が必要と思い、そのお願いをし、甚だお粗末ではございますが私の訴えとさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。(大拍手)

*上記テキストはaoinomamaさんのテープ起こしによります。
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=&no=112

   
 
帰りを待ちわびる大澤孝司さんのお父さん